子役デビュー当初から演技派!高橋一生の高い演技力は子役時代からの賜物だった

TVドラマ・CM・映画といたるところで見かけ、SNSでは「高橋一生の演技力が高すぎて怖い」とまで言われるほどの筋金入りの俳優・高橋一生さん。

そんな高橋一生さんは、幼い時から芸能界入りして子役として活躍する、芸歴30年以上のキャリアを持つ俳優なのは知ってましたか?

今回は、そんな高橋一生さんの「子役として芸能界入りするきっかけ・デビューからその後、子役時代に出演した作品・子役時代の演技力はどのくらいだったのか」といった、高橋一生さんの子役時代のことを調査してみました。

ぜひ、ご覧ください。

高橋一生の芸能界入りのきっかけは祖母のアドバイス

まずは、きっかけから見ていきましょう。

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高橋一生さんは、祖母のアドバイスをきっかけに芸能の道へ進んだと過去にのインタビューで語っています。

子供時代の高橋一生さんは、引っ込み事案で人とコミュニケーションをとるのが苦手な子だったそうです。

ピアノやエレクトーンなどの楽器、水泳と様々な習い事やらせてもらっていたそうですが、どれも長くは続かなかったんだそう。

そんな高橋一生さんを見かねた祖母にある日、「子役、ちょっとやってみない?」とアドバイスされたのを機に、高橋一生さんは芸能プロダクション「劇団若草」に入ることになります。

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劇団若草とは

劇団若草は昭和24年の創設以来、俳優・坂上忍さんや、杉田かおるさんなど数多くの有名俳優を輩出している、俳優の養成機関・芸能プロダクション。

 

2013年には東京・中野区に事務所を移転し事業を展開していたものの、所属俳優らの退所が相次いだため2019年に事業を停止した。

祖母の涙をきっかけに子役をつづけることを決意する

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高橋一生さんの所属した劇団は定期的に発表会を行っていたそうで、その発表会に祖母は毎回足を運び高橋一生さんの演技を見ていたそうです。

これまで色々な習い事をするものの長続きしなかった高橋一生さん。

今回の子役も尻切れトンボに終わるかと思いましたが、ある日の発表会で祖母が自分の姿を見て、涙を流し喜んでいる姿を目にします。

高橋一生さんのどんな姿を見て祖母が感情を震わせたのかは分かりませんが、そんな祖母の反応がよっぽど嬉しかったのか、高橋一生さんは「子役はこれからも続けていこう」と心に決めたそうです。




高橋一生は1990年10歳の時に初芸能界デビュー

次は芸能界デビューについてです。

高橋一生さんは、ビートたけしさんが主演を務める映画「ほしをつぐもの」で子役として芸能界デビューします。

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同年には、時代劇「続続・三匹が斬る! 」

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ドラマ「刑事貴族 」

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この2作品には、1話だけのゲスト出演。

その他には、1990年代の有名ドラマ「ニューヨーク恋物語II・男と女」にレギュラー出演しています。

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この頃から有名ドラマにレギュラー出演していたなんて凄いですよね。この時から、高橋一生さんの演技力は注目されていたそうですよ。

また、国民的人気ゲーム「ドラゴンクエスト」のTVCMにも出演していました。

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1991年には、舞台「レ・ミゼラブル」にガブローシュ役として舞台出演もしています。

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舞台は東宝が主催し、東京・名古屋・福岡・大阪・札幌の5都市で公演されました。

そのほかにも、この頃から数々のドラマに出演しているようです。

ドラマ「半七捕物帳」

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「ミラクル太郎の自転車教室」

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このころの高橋一生さんは、今と違ってぽっちゃり体型だったようですね。

目元・口元に注目してやっと「あ、高橋一世だ」とわかるレベルでしょうか。

「特捜エクシードラフト」・「恐竜戦隊ジュウレンジャー」で特撮にも出演経験がある

1992年11歳の時には、「特捜エクシードラフト」に38話限定で出演。

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1993年12歳の時には、「恐竜戦隊ジュウレンジャー」で「カイ」という魔女バンドーラの息子役を演じています。

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男の子の特に人気の戦隊ものに出演した当時は、学校ではかなり鼻が高かったでしょうね。




高橋一生は14歳のある時期に一度芸能界を離れている。家庭内不和が離脱の原因と推測

いったい何があったんでしょうか?

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デビュー当時から順風満帆な子役生活を送ってきた高橋一生さんですが、一度芸能界を離れたことがあるそうです。

調べてみましたが、芸能界を離れた理由は明らかになっていませんでした。

しかし、高橋一生さんの家庭環境を調べてみると、高橋一生はさんは複雑な家庭環境の生まれで、母親との間には大きな摩擦があることが分かりました。

高橋一生さんがまだ子供の頃、高橋一生さんの母親は生活が苦しくなると、高橋一生さんや子供達に「お金を借りてこい」と命令し、借りに行かせていたんだそうです。

その他にも、高橋一生さんの私物を勝手に売ってお金を作っていたりと、思わず耳を疑うようなことをしていたとのこと。

このようなことから、高橋一生さんは2015年に母親が亡くなるまでの10年間は、母親と絶縁状態だったといいます。

また、高橋一生さんの母親は3度の離婚歴があり、男をとっかえひっかえしていていた過去をもっているようです。

お世辞にも、良い家庭環境とは言えませんよね。

そんな不安定な家庭環境のなかで、仕事が安定して入ってくる保障のない芸能活動をするのは当時の高橋一生さんにとってかなり応えたのではないでしょうか。

年齢的には14歳という、思春期真っただ中。

本来安心できる居場所であるはずの家がそのような場所でないという事実は、高橋一生さんのメンタルに不調をきたしてもおかしくないと思います。

このようなことから、高橋一生さんは芸能界を一度離脱したのではないかと考えられます。

スタジオジブリの声優オーディション合格を機に高橋一生は芸能活動を再スタートする

一度芸能界を離れた高橋一生さんは、スタジオジブリの映画「おもひでぽろぽろ」の声優オーディションに合格したことをきっかけに、14歳の時に再び芸能活動を再開したそうです。

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この作品ではメインキャストではなく、エキストラ役を担当しました。(真ん中のオレンジ色の服のキャラ)

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ジブリ映画の代表的作品「耳をすませば」にも出演しています。

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この作品で高橋一生さんが声を吹き込んだキャラクターは、なんとメインキャラクターの「天沢誠二」

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弱冠14歳で、ジブリ映画の名作の一つとも言われる作品のメイン声優に抜擢されるなんて凄いですよね。

ちなみに、収録は高橋一生さんの声変わりの2週間前に行われたそうですよ。収録のタイミングなど考えても、やはり高橋一生さんは「持ってる人」なんでしょうね。

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その後も数々のドラマ・映画に出演して実績を積み、役柄の幅を広げる

1996年(16歳):映画「友子の場合」

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1997年(17歳):ドラマ「釣り刑事事件簿」

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1998年:ドラマ「少年たち」

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1999年(18歳):大河ドラマ「元禄繚乱」

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2000年(19歳):「池袋ウエストゲートパーク」

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2000年:「3年B組金八先生」

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など、数多くの作品に出演しています。

1996年あたりから、ぽっちゃり体型からすらりとした体型に代わり、今の高橋一生さんと認識できますよね。




子役時代の高橋一生の演技に対する世間の評価

子役時代の高橋一生さんの演技を世間の人はどう見ているんでしょうか?

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SNSを見てみると、子役時代の高橋一生さんの演技を賞賛する一般の人の声が散見されました。

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子役時代から、高橋一生さんの演技は高く評価されていたようですね。

なぜ高橋一生は子役として売れたのかを考えてみる

売れた理由は何だったのでしょうか?

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高橋一生さんが子役として売れた理由は以下の2つが考えられます。

1つは、高橋一世さんがもともと役者としての才能をもち、その才能を磨こうと思えた原体験があったことです。

俳優を志すものの、日の目を見ずに消えていく人に枚挙にいとまがない俳優界で生き残っていくには、そもそも本人に才能があるか否かが大きなウェイトを占めるはずです。

これは、俳優業に限った話ではないですよね。

また、優れた才能をもっていたとしてもそれを磨くためにはある程度の時間がかかるので、途中で諦めてしまってはせっかくの才能も埋もれたままで終わってしまいます。

幼少期はどんな習いごとをしても長く続かなかった高橋一生さんですが、劇団の発表会で祖母が自分の姿に涙して喜ぶ姿を見たことが子役を続ける上での大きな原体験になったのだと思います。

最初は「祖母の喜ぶ姿がもっと見たい」という動機で子役を続け、いつしか俳優の世界に没入し、徐々に頭角を現していったのではないでしょうか?

二つ目は、自分の個性や方向性にあった事務所(プロダクション)に所属できたことです。

プロダクションに所属する以上仕事をとってくるのはプロダクションですから、自分が望む方向性とプロダクションが売り出したい方向が完全とはいえなくてもだいたい一致しているか否かは、役者業を続ける上ではかなり重要なはずです。

また、大人ならともかく、子供は自分のモチベーションやその他の自己管理をするのは難しいでしょうから、周囲が高橋一生さんのことを上手くサポートしていたんでしょうね。

推測ではありますが、上の2つが子役として活躍できた要因なのではないかと思います。

一般的に、売れる子役には

MEMO
  1. 発声・活舌が良いこと
  2. シーンに合わせた表情や振る舞いが出来る演技力
  3. 台本・作品の世界観を覚えられる記憶力

の3つが主な条件として挙げられるようです。

この3の条件も、高橋一生さんは問題なく満たしていたんでしょうね。

現在も何かしらのドラマに出演するたびに、高橋一生さんの演技力に関する声がSNS上では見られますよね。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

  1. 高橋一生の芸能界入りのきっかけは、祖母のアドバイス。
  2. 弱冠10歳で芸能界デビューし、その頃から高い演技力を見せている。
  3. 高橋一生は14歳の時に一度芸能界を離れている。家庭内不和が離脱の要因と推測。
  4. ジブリ作品の声優オーディション合格が芸能界復帰のきっかけ。声優としてジブリ作品に2回出演している。
  5. 高橋一生は子役として売れた理由は、本人の才能・才能を磨き続けられる強烈な原体験があったからだと推測。

新しい情報が入り次第随時更新していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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