田辺誠一の若い頃は容姿端麗で眉目秀麗!現在はSNS上で画伯としても有名!

優しげで柔らかい印象を持ち、昔から現在まで多くの女性ファンを獲得している俳優・田辺誠一さん。

俳優・映画監督・画伯とマルチに活躍されており、個性的なシュールすぎる絵がSNS上では話題にもなっていますよね。

そんな才能にあふれる田辺誠一さんの、若い頃の人生模様について気になる人も多いはず。

そこで今回は、田辺誠一さんの生い立ちから学生時代のエピソード・若い頃の芸能活動・現在の様子までを色々調査してみました!

田辺誠一のプロフィール

まずは、田辺誠一さんのプロフィールを紹介。

 画像出典元:Twitter

  • 生年月日:1969年4月3日
  • 出身地:東京都
  • 身長:182cm
  • 血液型:A型
  • 職業:俳優、映画監督
  • 所属事務所:Staff-up-Group
  • 趣味:絵画、写真、キャンプ、建築模型作り、将棋
  • 特技:水泳

田辺誠一の生い立ち・学生時代・現在までの遍歴

田辺誠一さんがどんな人生を送ってきたのか、ここから見ていきましょう。

  画像出典元:Twitter 

田辺誠一さんは、東京都世田谷区の砧(きぬた)出身と言われています。

世田谷区というと、全国的ににも有名な高級住宅街ですよね。田辺誠一さんの実家も世田谷区にあると言われているようです。

しかし、ずっと世田谷区で生まれ育ったわけではなく、生まれてからすぐに山口県吉敷郡小郡町(現在は山口県山口市)に引っ越したそうです。

なぜ山口県なのかというと、どうやら田辺誠一さんの父親は山口県吉敷郡小郡町出身なんだそうです。

田辺誠一さんは4歳の頃まで、父親の馴染み深い場所である山口県で過ごしたそうですよ。

その後は再び東京に戻り、子供時代・学生時代を送ったとのことです




田辺誠一の多感でフットワークの軽い小学生時代

田辺誠一さんは、世田谷区にある世田谷区立桜小学校に通っていたと言われています。

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田辺誠一さんは子供の頃からスポーツが好きだったそうで、小学校時代は水泳と野球をやっていたそうです。

野球に関しては、地元の野球チームに在籍していたそうですよ。

家の近所にあったウルトラマンで有名の「円谷プロダクション」の倉庫や撮影のセットに行き、発砲スチロールでできたビルなどをもらって遊んだり、スーパーカーにハマったりもしたそうです。

当時から漫画が大好きだったそうで、お気に入りの漫画は「キン肉マン」。

 

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見よう見まねでキン肉マンの絵などをよく描いていたそうです。

現在の趣味でもある建築模型作りにもこの頃から興味を持っていたそうで、建築模型や建築図面を造っていたと言われています。

「地獄に落るなと思った」ことも。過去の小学生エピソード紹介

ここでは、過去のインタビューで田辺誠一さん本人の口から話されていたエピソードを2つ紹介したいと思います。

田辺誠一さんは小学生のある時、ふと学校の窓から見えた新宿のビルに行きたいと思ったそうです。

実際にビルに行ってみると、そのビルはドラえもんの生みの親である藤子不二雄Aさんが立ちあげた「藤子スタジオ」。

 画像出典元:Twitter

普通の人なら、このような建物に入るのなんてとんでもないと思いますよね。

でも、田辺誠一さんはそんなことおかまいなし!

中に入り、コンコンと扉をたたき「藤子先生はいますか?何か描いてください!」とお願いしたんだそう。

ものすごい行動力ですよね(笑)

田辺さんいわく、「やってダメでも地球がひっくり返るわけじゃないし、やらないで後悔するほうが嫌」なんだそう。

また、その他にも小学生の頃は数多くの悪事を働いていたんだそうです(笑)

いったいどんな悪事を働いたんでしょうね(笑)

現在の田辺誠一さんからは想像がつきませんよね。

中学一年生の時に「流石に、このままじゃ地獄に落ちるな」と改心し、毎日町を掃除するようになったそうですよ(笑)

田辺誠一の芸術一筋の中学生時代

田辺誠一さんの出身中学校は、世田谷区にある公立の世田谷区立砧南中学校と言われています。

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中学生時代は、絵を描くことに没頭し、ゴッホなどの世界的な有名画家の絵の模写も行っていそうです。

世田谷区のコンテストで表彰されたり、中学校の先生に美大への進学を勧められるほど、優れた絵の腕前を持っていたと言われています。

また、中学生になってからは、”周囲に合わせないといけない”という日本人特有の風潮にプレッシャーを感じていたんだそうです。

趣味の面に関しては、中学時代は「フェリックス」のような生活の中に入るキャラクターグッズに興味を持ったそうです。

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アメリカのメーカーやデパートに手紙を送りカタログや雑誌を手に入れて、様々なキャラクターを収集していたんだそうですよ。

田辺誠一の部活に明け暮れた高校生時代。ここから人生が大きく変わり始めた

田辺誠一さんは、神奈川県にある私立の法政大学第二高校に一般受験で進学したそうです。

 画像出典元:みんなの高校情報

この高校は1932年に開校した法政大学の系列の高校であり、自由な校風で知られています。

田辺誠一さんが在学していた当時は男子校だったそうですが、2016年からは男女共学化されています。

高校時代はボート部に所属し、チームの主力選手として活躍していたそうです。

日々の練習はかなりハードだったそうで、うさぎ跳びで何キロも進んだ後に、今度は後向きにうさぎ跳びをしながら帰らされたり、ハイキングで登るような山を毎朝15分ほどかけて走らされたりと徹底的に体をいじめぬくようなトレーニングをしていたそうです。

部活が終わり、家に帰るのは夜の12時になることもあったんだとか。

かなり、ガチな部活動だったんですね。

部活に明け暮れていたと書きましたが、田辺誠一さんは16歳の時に「Art Project Swim」というグループを立ち上げ、自主制作映画・絵画や小説・写真といった創作活動も行っていたそうです。

後にその芸術活動が高く評価され、20台後半の頃には通産省・日系のデジタル部門で賞を受賞しています。

また、田辺誠一さんは当時からお笑い好きだったそうで、18歳の時にはコントを自主制作していたそうです。

2015年に出演した大御所芸能人・明石家さんまの番組で、当時作成したコントのような短編映像「ハードボイルド料理教室」の内容を話しています。

その話を聞いたさんまさんからは「Rー1グランプリに出たら?」と言わしめるくらいお笑いにの才能にも長けているようです。

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田辺誠一さんあんた、非凡すぎるよ。。。。。。





田辺誠一さんは高校3年生の夏に部活を引退し、アルバイトを探していました。

その時に、隣の席の友達が持っていた男性向けファッション雑誌「メンズ・ノンノ」が第2回モデルを募集していたことを知り、応募してみようと思ったそうです。

応募条件は、身長180㎝以上・都内近郊に住んでいることの2つ。

田辺誠一さんは応募総数5000人の中から見事合格を勝ち取り、高校3年生の秋に「メンズノンノ」の専属モデルとして芸能界入りを果たします。

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 田辺誠一のメンズノンノ時代の画像を紹介

現在とは少し雰囲気が違う、若い頃の田辺誠一さんの魅力をご覧ください。

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しかし、芸能界入りといっても田辺誠一さんはまだ現役高校生であり、大学進学が間近に控えています。

田辺誠一さんの通っていた法政大学第二高校はエスカレーター式のため、受験しなくてもそのまま法政大学に進学することが可能でした。

しかし、より難関な大学に進学する道を選び、内部進学はしなかったそうです。

しかし、志望大学の大学受験には失敗しているようです。

一浪して再チャレンジすることも考えたそうですが、そこまでして希望する大学に進学したいという情熱をもてなかったようで大学進学を諦めたそうです。

大学受験に失敗しモデル業一本になった時に、田辺誠一さんは「同級生たちが大学生活を4年間送っている間はモデルをやり、その間に好きなことを決めて就職しよう」と考えていたそうです。

そのため、映画を撮ったり、文章を書いたりと自分の興味のあることには何でも挑戦していたそうですよ。

モデルとして芸能活動を行うなか、中学生の頃からファンだった役者「笠智衆」さんの影響もあり、俳優の道に進むことを決意します。

モデル業は25歳になる1994年まで続け、それからは俳優業にシフトしていったという感じのようです。

高校生あたりから、田辺誠一さんの人生が大きく動き出していったんですね。

これは余談ですが、日本の芸能人で初めてホームページを開設したのは田辺誠一さんだそうですよ。

この頃はまだパソコンの普及率がとても低く、インターネットで当たり前に買い物ができるようになると人に話すと首を傾げる人が多かった時代です。

そんな頃から田辺誠一さんはホームページを開設していたなんて凄いですよね。

俳優としての実力を着実につけ、ドラマ「ガラスの仮面」でブレイク

田辺誠一さんは、1992年のTBSドラマ「熱い胸騒ぎ」で俳優デビュー。

当初は、深夜枠の出演が多くなかなか目立った活躍はできませんでしたが、次第にその演技力が認められドラマや映画への出演が増えていきました。

5年後の、1997年放送のドラマ「ガラスの仮面」で”速水真澄”役を演じたことでブレイクし、世間から一躍脚光を浴びることになります。

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これ以降も、1998年放送のドラマ「BLUE SHARP」、同年公開の映画「激しい季節」では大人のラブストーリに挑んだり

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1999年放送のドラマ「らせん」ではメインキャストとして出演しています。

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2001年公開の主演映画「ハッシュ!」では、報知映画賞・最優秀主演男優賞・ヨコハマ映画祭・主演男優賞・高崎映画祭最優秀主演男優賞といった数多くの賞を受賞し、俳優としての確か実力を見せています。

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現在も色々な国内ドラマに出演し、日本のドラマには欠かせない俳優の一人になりました。

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田辺誠一は映画監督としての顔も持つ

田辺誠一さんは学生時代から映画撮影や脚本づくりに取り組んでいた経験もあり、これまでには自身が監督をつとめ、映画製作も行っています。

1999年には、自身の処女作となる「DOG-FOOD」という作品を手掛けています。

 画像出典元:YAHOO!JAPAN映画 

当時は、「役者が映画を撮るなんて生意気だ」という世間からの非難も多かったそうです。

そんな状況のなかでフルデジタルの低予算(自費)で何とか撮影し、それがベルリン国際映画祭の審査員の目にとまり、ベルリン国際映画祭から正式招待されています。

他の作品が製作費数億円レベルのなか、制作費50万円の映画としては快挙を達成したそうです。

その他にも、田辺誠一さんが監督・脚本・出演など5役をこなした監督作品2本目の「ライフ・イズ・ジャーニー」というドラマ作品を2003年に劇場公開しています。

  画像出典元:Movie Walker

この映画は、後に田辺誠一さんと結婚する大塚寧々主演の『LIFE』・歌手・hitomiの映画初出演となる『No where』の他、全4本の短編で構成さています。

音楽は、あの坂本龍一さんが担当しています。




田辺誠一は過去に一人だけ、女優との交際報道があった

身長180㎝でイケメンの田辺誠一さんですが、女性関係で世間を騒がせることはあまりなかったようです。

田辺誠一さんは過去に、椎名英姫」という女優と交際報道がされているようです。

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田辺誠一さんが監督をつとめた「DOG-FFOD]に椎名さんが出演したことで二人は出会い、そこから仲を深め交際に発展したそうです。

交際報道はあったものの二人の交際を思わせる決定的な場面のスクープはなく、以降二人がどんな交際生活を送りどのように破局したのかは不明なようです。

田辺誠一は33歳になる2002年の時にバツイチ子持ちの女優・大塚寧々と結婚

私生活のほうでは、2002年に女優・大塚寧々さんと結婚しています。

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二人の出会いのきっかけは、1994年に放送された日産のCM「日産ルキノ」での共演。

CMでの共演をきっかけに、二人は友達関係になります。

大塚さんは過去に、ミュージシャン・俳優として活動する三代目魚武濱田成夫さんと1999年に結婚し、男の子を一人設けています。

しかし、わずか2年後に二人は離婚したそうです。

この大塚さんの離婚を機に、二人は友達関係から一気に距離を縮め、交際期間わずか一年で結婚したようです。

一般的にバツイチ子持ちは結婚に不利に働くと言われていますが、田辺誠一さんにとってそんなことは全く関係なかったそうで、大塚さんの子供をわが子のように可愛がっているそうですよ。

子供が肺炎にかかった際は毎日病院にお見舞いに行ったり、自宅付近で子供と遊ぶ様子を週刊誌に激写されたりと、子供とは上手く関係を築けているみたいです。

二人は公の場でお互いの感謝を示すようなコメントをするなど、結婚から10年以上たった今も夫婦関係は良好のようです。




現在、田辺誠一は俳優の他に「画伯」として名を馳せている

20年以上の芸能生活を送る田辺誠一さんですが、そのイケメンぶりは現在も健在のようです。

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現在も数多くのドラマに出演し、多くのファンを魅了しています。

また、田辺誠一さんはTwitterに自作した作品の絵をよく投稿しています。

こちらは田辺誠一さんが作製した、2020年の東京オリンピックのエンブレム。

 画像出典元:ねとらぼ

また、道ですれ違った犬をモデルにした「かっこいい犬」という絵を自身のツイッターに絵を投稿したことが大きな反響を呼びました

このことが原因で、田辺誠一さんは「画伯」と呼ばれるようになったそうです。

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この件で、田代誠一さんのTwitterのフォロワー数は4倍に急増したんだそうです(笑)

その人気は全国的に広がり、渋谷や福岡で絵画展も開かれ大きな話題になりました。

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現在、このイラストをモチーフにしたLINEスタンプや本が販売されています。

田辺誠一のLINEスタンプ公式サイト:LINE STORE

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そのほかにも、じわじわ来る個性的すぎる絵をTwitte上にいくつも投稿しており、SNSをにぎわせています。

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田辺誠一さんはインスタグラムよりTwitterのほうをよく更新しているので、現在の田辺誠一さんの活動が知りたい人はそちらをチェックしたほうがよさそうです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

まとめると

  1. 田辺誠一は、幼少期の前半を父親がゆかりのある山口県で過ごしていた。
  2. 絵・映画・建築模型製作・お笑い・ハードな部活動と、多感で盛んな学生生活を送っていた。
  3. 芸能界デビューは、高校3年生の秋に応募した「メンズノン」のモデルオーディション合格がきっかけ。
  4. 俳優としては徐々に頭角を現し、1982年「ガラスの仮面」でブレイク。
  5. 俳優としてだけでなく、映画監督としての顔も持っている。
  6. 2002年に女優の大塚寧々さんと結婚し、子供と共に幸せな生活を送っている。
  7. 現在も俳優として数多くの作品に出演している。「画伯」の称号も手に入れた。

みたいな感じでしょうか。

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多彩な才能を持つ田辺誠一さんの動向に今後も注目ですね!

新しい情報が入り次第随時更新していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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